昭和五十六年十月二十八日 朝の御理解


御理解第五十八節


 人が盗人ぢゃと云うても乞食ぢゃと云うても腹を立ててはならぬ盗人をして居らねばよし乞食ぢゃと云うても貰いに行かねば乞食ではなし神がよく覧て居るシッカリ信心の帶をせよ。


 昨日玄潮皆さんもとっておられますでしょうか。玄潮が送って参りましたが、その中にこれは鹿児島境界の行徳照真先生が書いておられますえー金光教の宣言「天地の道理に基づく生き方を進め自然の生命を重んじ自然と人間が調和する社会を求めていく」と上にあって、下に先生の詩のようなものが書いてあります。
 これをちょっと読んでもらいます。 どうぞ ここから読んで下さい。少しばかりだから。
 宇宙開発進むと云うに人間の世界に難儀なかなかへらぬ。教主金光様の歌”宇宙開発進むというに、人間の世界に難儀なかなか減らぬ”人間も猿もまた生まれた時はそう変わらない。十年たち二十年たつと大変な差が出来てくる。それは言葉 文字 技術 知能のおかげだ。人間はその知能を磨いてどんどん進歩した。
 政治、経済、医術、テレビ、新幹線、宇宙開発、便利さへ、速さこそ、豊かさこそ、進む、まだ進む。ただ一つ進歩開発しきれないもの、それは心だ。
 文明以前も現代も、あり続けている心の問題。不和差別争い迷い我執・・・・この難儀さ、美邸に住み美食を食べ美車に乗っていても、ノイローゼ、心身症、非行、汚職、殺人、心ばかりはお金や技術で開発出来そうもない。
 更に土を死なせ、水や大気を汚し資源を乱費し環境を破壊、公害病、奇形児を結果させ行く。心がだめだと結局はぶち壊しだ。
 人類救済の決め手は、心だ。幸、不幸の鍵はわが心だ。この心をどう育てて来た?どう育てている?一番大切なものを一番粗末にしてはいまいか。行徳照真
 皆さんこの意味が合楽で御理解頂いている人はよくよく分かると思うんですよね。その通りだその通りだと思うわけ。分かってはいるんですよ皆がね。ここまでは、今読んで頂いたように、例えば教団の宣言と云われる天地の道理に基づく生き方を求め、自然の生命を重んじと云ったような、これは教団でこの宣言がなされる時に、はあこりあ合楽的になって来たなあと私はもうこれは十年も前だったでしょうか。この宣言が出されたのは、時にまあ思った事でございます。ね ですからたしかにその天地の道理に基づく生き方とか、今行徳先生詩の中にもございますように、私が申します、とにかく人間が知恵の世界というか学問の世界というか、人間の力でそれこそ月の世界にも行けるほどしのねその進歩を見たけれどもそれで人間の幸ではない。 結局はいろいろのものを究めていけばいく程分からせて頂くのは心だと。ここまでは分かっているんですよ皆が、こりゃ物ぢゃない金ぢゃない学問ぢゃないという事を。こりゃ心だと、ならその心をねいよいよ幸に導くこと。いわゆる合楽で云われる心一つですべてを創るのだからその心にいよいよ取り組めよというその取組み方が合楽理念には微に入り細にわたって説いてあるわけですよね。
 しかもなら誰でもその気になれば云うならば、黙って治めるとか成りゆきを尊ぶとか大切にするとかと云ったような事を、その気になれば誰でも出切るですよね。それをなら合楽では説くわけですね。 今日の御理解ぢゃないですけれどもね、盗人だと云われても乞食ぢゃと云われても腹を立てるなと、ね けれどもはたして金光教の信心を頂いておる人が、果たして泥棒と云われた時に言い訳をしよらんでしょうか。ね 乞食ぢゃと云われて、いつ俺が貰うて歩いたかと云うてはいないでしょうか。もうそれこそ赤面弁慶になってね堂々と言い訳をして云うならば云いますことの術は知ってますけれども、それをじっと云うならこここそ土の心で、それはここでは説かれる神愛が分かれば分かる程むしろ土の心で受けるという事がおかげであり、いやむしろ自分の心が豊かに大きゆなっていく手立てだからむしろお礼を申し上げる心を徳でしょう。
 ね だからその例えば今日の御理解などはもうこの照真先生のこの詩ぢゃないけれども教団で云っておる云うならば金光教の宣言の言葉のすばらしい事、それこそここに、その幸になっていく為にはどうでも心の開発がいるんだと、そこまでは分かっているんです。皆、だからどういう手立てをすれば心が開発されるか豊かに大きくなれるのか。それこそ一人でに物が出けるようなおかげを頂く為にはどうあらなければならないかと、どうあることが本当なんだ。又お礼を申し上げねばならないような事に、お互いがまあ自分が利口になろうとするという事。言い訳をするとかそれに徹しきれないでおる。その徹する生き方、生き様というものが合楽理念に基づくとその気になれば出けるのですから、皆さんもその気になっておかげを頂かなければいけない。もうこのようにはっきりとねこうなんだ、たしかにそうなんだ、ね 金光教がいわゆる金光宣言にありますようにです自然と人間が調和する社会、それを例えばどういうような生き方になれば人間と自然が調和するかと、ね 川の汚染を防がなければならないとかね、いわゆる自然環境の事やらがこうやかましく取り沙汰されるわけなんです。
 ね 合楽では皆さんが云われるでしょう。ね 天地のリズムを聞くと云うておられるでしょう。ね 天地のリズムを私は天地自然との調和という事はね。成る程顔を汚してはいけない。山を禿げ山にしてはならない。まあいろいろあります。でそういう事は信心がなくても、云うなら科学者技術者がそれにもう気づいとりますからそれに取り組んでおります。信心がなくても、問題はです。自分の心が自然と調和する、自分の心が天地のリズムをこう感じ取る出来るだけの生き方というようなものをです、自然を尊び、大切にするという事は、ね 天地自然を生かす事。神様の働きを生かす事だと合楽では申しますがその神様の働きを生かす手立てが合楽理念には私は、微に入り細にわたって説かれるのです。ね 本当に一日一日をですね天地の云うなら奏でてくださるリズムというかリズム音が聞こえてくるようになると昨日の御理解ぢゃないですけれども、もう目覚ましから有り難いし、そして今日も又どういうリズムに乗って生き方が出けるだろうかと思うたら、楽しゅうなってくるです。
 昨日、一昨日、さき一昨日でしたでしょうか、毎日大城から吉田さんという方が参って参ります。お商売の事でもう兎に角まあ行きにくいですけれども行いかなきゃならない。まあ兎に角心が暗くなるような事であった。それでも神様にお願いをしてすうっとこう出らせて頂いたら、前を走っておる車が久富正義先生の乗っとられる車であったとこういう。ね もうそしたらもう一ぺんに元気が、はあこの後からついていきぁ大丈夫と思うて、それから元気が出たという。ね リズムです。
 そこに誰誰さんがどんな立派な車に乗っておってもそんなものは感じさせません。ね 神様の働きというものはいつもそのようにしてあってるわけです。 ね リズムに乗るとです 出けない、出ない声が出る出しょう伴走があると、自分の声が引き立つでしょう。だから、合楽ではね、ここんところを説くわけです。同時に云うならばね心の開発、とこう云ってありますが、ならどうすれば心が開発されるかを云う事。
 ここではとかく信人は地を肥やせ地を肥やしておけば一人でに物が出けるようなものぞ という教祖の御教えについていつも頂きますよね。兎に角信心は地を肥やせ。
 そこまでは分かる。ならどげなふうにすりぁ地が肥えるかと云う事を説かないわけですね。合楽の場合はです、ね ここを黙って治めると云った生き方。しかもその事が黙って治めれる事が有り難い、もう全くそのままが肥料になって、心の肥料になって豊かになって大きくなってね、今まで一反作りよったのが二反作る、の云うなら作れば二反の収穫があるように、しかも一人でに物が出けるようなおかげにも繋がっていけるのです。私は、合楽の一番すばらしい事はね、おかげは和賀心にあるとこういう事が本当に神乍らに説かれる事だと、いわば、これなんかはどこまでもああ信心はなかっても、まあうた心のある人ならばこういう詩くらいは出けるだろうと思うです。ね あらゆるものの開発は出けたけれども、心の開発が出けんのだと、そこに人間の難儀があるんだという事まではわかるけれどもなら、どういうようになれば心が開発されるかと。
 教祖は、天地書付はね「教祖生神、生神金光大神、天地金乃神一心に願えおかげは和賀心にあり」とこうはっきり教えておられる。だから、その和賀心におかげがある事が分かってるんだけれどもならどういうあり方になったらいよいよその和賀心が、和賀心とはこういうものである。和賀心とはどんな修業さして貰うたら和賀心になれるかという事を説くわけです。昨日は今度宮崎支部の大祭にあのう天地書付をあのうホテルであるのですから天地書付を奉して仕えたいというのでその願いが来とった。けども何かその天地書付をまあだから大きく書かんならんから書いてくれと、書く気がしなかったら、昨日幹三郎がちゃんと準備をして額もこう出けて来とりますから紙もそこにちゃんと用意しとるから書いて頂きたいと云うからすぐ立たせて頂いた。まあ昨日は皆さんに聞いて頂いたように、朝から有り難うて嬉しゆうてという時ですからね、すぐ立たせて頂きましてから書いたんです。座らせて頂いたら神様から「作る」という字。イベンにこう乍らという字です「作」さくという字を頂いたんです。そしてイべんのイにんの字を消してしまう所を頂いたんです。ははあ、今日は大坪総一郎が書くのぢゃないなあ、神乍らなおかげを頂くなあと。本当に神ながらに書かせて頂きまして、もう、私は知らなかったんですけど ちょっと額より長かったんです。それをだから上を切らなければならん、切ってちょうどとちゅう調子がいいし、それからその字そのものも、ははあこりあ私が書いたぢゃないなあと思うような有り難い天地書付を書かせて頂きました。 合楽の場合はね、それを書く時だけぢゃない、こうやって皆さんに聞いていただくお話もです、いうなら昨日今皆さんに聞いて頂いた事を読ませて頂いた事も、今日ここで今頂きますね、五十、御理解五十八節も、五十八節のあり方というものを合楽流に合楽理念に基づいて人が盗人というても乞食ぢゃというても腹を立てる所か、むしろお礼を云うような心それこそが信心の帯びをせよとおっしゃる信心の帯びがでけとらなければ腹が立ったり、ね それこそ言い訳をしたくなるんだけれども、そういう云うならあり方こそが心の開発だ心を、いよいよこやしていく豊かにしていく事だ、一人でに物が出来るようなおかげとは、そういう事なんだという事を今日は皆さんに聞いて頂いたわけですけれども、ね それとても、やはり昨日から続いておる神ながらな働きの中にね、お互いが日々を云うならリズムに乗った生き方。
 天地自然との働きに調和しながら、ね、云うなら自然を生かす神様を生かしていく生き方をいよいよまあ教えて頂くのでございますからね、それをいよいよ実験実証する日々でなからなければならんということでございます。   どうぞ